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子どものこころを育てる 8

小さい頃はかわいかったのに
最近は「イヤ!」を連発。
扱いにくくなり、疲れてしまいます。

泣いて求める、抱きついてくる
赤ちゃん時代のかわいさは、ひとしおですね

 愛着の相手はお母さんでなくてもいい……と言っても、現実には、日本の家庭における赤ちゃんの愛着の対象は、お母さんが多いものです。「お母さんじゃなきゃダメ」とばかり後追いをしたり、姿が見えないだけで泣き出したり……。その結果、赤ちゃんは「甘えん坊」に見えますし、またそれゆえに、かわいかったりするものです。
 たとえば、お母さんが「おいで」と手を差し出すと、つかまり立ちから一歩を踏み出せるのも、愛着の対象であるお母さんが赤ちゃんにとってこころから信頼できる人だからです。また、赤ちゃんは何かに驚いたり、初めての状況に出会うと、お母さんの顔を見て状況を判断しようとしたりもします。そんなときのお母さんの笑顔は、赤ちゃんにとって「だいじょうぶよ」という合図になります。
 お母さんは、いざというときに子どもの安心を支える”安全地帯“になります。よい安全地帯を持つことは、赤ちゃんがこれから出会うさまざまな未知の出来事を乗り越えていくために、とても大切です。新しいことをためしながらも不安になると、自分にとって安心できる人のところに帰ってくる。これを繰り返しながら、子どもは少しずつ、生きていく「世界」や「信頼できる人」の範囲を広げていくのです。

いつまでも赤ちゃんのままでも困ります。
扱いにくくなるのは、むしろ成長の証

 でも、愛着欲求をいつまでも赤ちゃん時代のようなやり方でしか満足できないのでは困ります。何か新しいことがあるたびに親に泣きついたり、助けを求めたり……。何もかもを他人まかせにしたり、受け身だけであるのも問題だし、いつもいつも人の言いなりになって自分をなくしてしまうようでは困ります。
 つまり「愛着欲求」は人間に必要で大切なのですが、どのようにその気持ちを表現し伝えるかはそれぞれの成長の時期に合ったものであることが重要です。赤ちゃん時代には赤ちゃん時代の愛着、幼児期には幼児期の愛着、青年期には青年期にふさわしい愛着へと発展させ、変化させていかなければならないのです。人に愛情を求めたり、交わりたいという欲求と、自分は自分でありたいという自立への欲求……このふたつをどう共存させていくかが、人間の発達のうえでの重要な課題、子育てのテーマとも言えましょう。

「安全地帯」から少しずつ飛び出していくのが2歳ごろ。
「イヤ!」は、むしろ喜ばしいできごとです

お母さんが一番よかった赤ちゃんが、そのお母さんに「イヤ!」を連発するようになるのは、大きな事件です。実はこれは、赤ちゃんが成長してきた重要なしるしです。
 たとえば、生まれたばかりの赤ちゃんは、まだ「自分が自分であること」の意識がはっきりとはありません。けれど、赤ちゃんは日々成長していきます。
 自分の体の「内」で起こる空腹感、それに対して「外」から何かがやってくる感じもつかんできます。自分以外の人やモノがあることがわかり、1歳のおわり頃には、自分に名前があること、他人にも名前があることなどを知っていくわけです。こうして子どもは自分を発見していくのです。
 2歳児ともなると、自分が行動の主人公であることも自覚し始めます。愛着の相手であるお母さんも、いまや「自分」の行動のパートナー。主人公の自分にとって必要なとき、必要なものだけ求める相手に変化します。与えられる一方だった赤ちゃん時代から、行動の主人公へと成長するのです。
 「イヤ、イヤ」というのは、子どもに強い意志が生まれたからです。まだその気持ちをうまく表現できないので、「イヤ」といって自立を主張しているのです。
 こう考えてくると、子どもの「イヤ!」はむしろ歓迎すべきことだとわかるでしょう。子どもが順調に発達していることの証、それまでの愛着要求がうまく満たされてきた証でもあるのです。

「イヤ!」は子どもの成長のあらわれ。
むしろこれまでの子育てがうまくいっていた証拠、
と喜びましょう。

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