赤ちゃん & 子育てインフォ

ホーム連載・読み物 インタビューシリーズ第12回 汐見稔幸さん その3

インタビューシリーズ:親も子もトライ&エラー

日々、親ごさんと接しているかたや、子育て奮闘中のかたにお話を伺っていきます。

シリーズ第12回 その3
「叱る」「ほめる」について
もう一度考える

汐見稔幸さん

汐見稔幸さん
プロフィール
白梅学園大学学長

子どもが成長するなかで、互いの思いを伝え合い理解する。その楽しさは子育ての醍醐味といってもいいかもしれません。
でも、ときにはすれ違い、親子だからこそ理解し合う難しさを実感することも。親と子のコミュニケーションをスムーズに、上手にするにはどうすればいいのでしょう。「赤ちゃん&子育てインフォ」のインターネット相談室の回答者で、白梅大学学長の汐見稔幸先生にお話を聞きました。

Part1 コミュニケーションには2つの意味がある
Part2 自己主張はわがままではなく
自分なりの考えをしっかり持っているということ

Part3 「叱る」「ほめる」について
もう一度考える

2009年4月7日掲載

叱るときは、価値観をぶつける
親の真剣さが伝わればいいと思います

編集部:子どもが社会のルールに反するようなことをしたとき、親はどんな叱り方をすればいいですか。

汐見:叱り方に決まった方法はありません。親が人生の中で獲得してきた価値観で叱るしかない。「これは誰かが一生懸命作ったものでしょっ。それを粗末に扱うなんて!!」などと自分の価値観をぶつけ、親が真剣に怒っていることが伝わればいいと僕は思いますよ。
実はね、昔は子育ては「神様」にやってもらっていたんです。「そんなことしたら罰があたる」とか「嘘をついても神様は見ているよ」とか「頑張ればお天道様は見ていてくれる」とか。人間は完全ではないし、弱さもずるさも持っている。その自分が子どもにああしろ、こうしろと言うわけでしょ。その「おぞましさ」を避けようとすれば、人間を超えた存在に育ててもらうしかないんですね。
でも今は、人間が人間を育てているので、どうしたって「自分だってたいした人間じゃないくせに」となる。子どもが思春期になるとそのことを思い知らされるわけだけど、ほんとうは子どもが小さいときだって同じだと思いますよ。

汐見稔幸さん

自分の子ども時代を思い出して、「そういえばこんないたずらをしたな」とか「でも楽しかったな」とか。それで、「子どもにそんなに厳しく要求しても仕方ないな」とか「ここは厳しく叱る必要があるな」「こういう失敗をしながら上手になっていくものだ」とかね……子どもの姿を通して自分の来し方を振り返る。そして、それはそれでよかったんじゃないかなと思い直す営みが子育てではないかと思うのです。

編集部:確かに、子どもを育てていると人生を2度生きるような楽しさがありますね。

ほめ言葉を連発することの危険

編集部:ほめることについても教えてください。先生は以前、インターネット相談室で安易にほめることの弊害について書いておられましたね。

汐見:子どもが一生懸命にやった、嫌だったけどがんばったということをほめてやることは大事なことだと思います。しかし、何でもほめて育てようというのは疑問を感じます。

ほめることは、子どもの行為に対して大人が評価を与える、という側面があります。子どもにとっては、これは8点、あれは9点と評価されているということでもある。ほめ方によっては、おだててそうさせようということにもなる。日常的にほめるということは、子どもに「ここまでやりなさい」「これがあなたに要求しているレベルよ」と伝え続け、「やらなきゃダメよ」というメッセージになりかねないのです。

汐見稔幸さん

その結果、ひとの期待や評価に過敏になって、失敗は許されないんだと思い込んでしまう場合もある。人間は失敗からしかほんとうには学べないのに、失敗を恐れて、できないことはしなくなってしまうんです。
いま、小学校の運動会で駆けっこをすると、途中で走るのをやめてしまう子がいます。1等賞でなければだめだと思い込んでいて、なれないとわかるとやめてしまうんです。10点満点だと思っていた答案が8点だと、その場でビリビリと破いてしまう子もいます。親は「10点じゃなきゃダメ」と言ったつもりはなくても、ほめ続けることが「親の期待に応えなければダメ」というメッセージになることもあるんです。

編集部:ええ、腑に落ちる気がします。

汐見:親は子どもを人生の大事なときにポイントを押さえてほめればいいのであって、日常的に子どもをおだてたり、自分の思い通りに動かすための手段として用いないほうがいい。
昔のように子ども同士が群れて遊んで、大人の目が届かないところですべてを自己決定するという世界が豊かにあれば、時々ほめてもらうのはうれしいことです。しかし、いまは朝から晩まで大人の目があって常に見られている。それで、何かするたびにいちいち評価されていると、親の期待に応えるように行動する世界がどんどん増えてしまう可能性があります。

陽の当らない側から見る

編集部:では、どうすればいいでしょう?

汐見:たとえば、子どもが工作をして「面白いものができた!!」と思っているなと感じたら、「へえ、面白いものを作ったね」と、子どもの気持ちを言葉にして確かめ、共感する。このとき主人公は子どもで、そこに大人が寄り添っている。一方、ほめることは大人が高みから「いまのは何点」と評価する行為で、子どもは上からずっと見られていると感じるわけです。もちろん、一生懸命にがんばったときには「よくがんばったね」と言ってあげてほしいけど、日常的にほめ言葉を連発するのではなく、共感し、ともに苦しむ親であってほしいんですね。

汐見稔幸さん

そもそも日本人はほめるのが下手で、表面的なほめ言葉を使いがち。ほんとうにほめるということは、その子なりの良さを見出して「ここを伸ばすといいよ」と伝えてあげること。のんびりしている子に、「ゆっくりていねいにやるね」「それがあなたの良さだよ」と言ってあげることだと思うのです。人間を陽の当たるほうからだけでなく、逆からも見てやる。そういう深いまなざし、多様な視点がないとほんとうのほめ言葉は出てきません。

編集部:ほめることが身についていないのですね。親自身、ほめられるより欠点を指摘されながら育ってきたような気もします。

汐見:日本人は加点法で子どもを見るのが苦手でね、いつも「ここがまだダメ」という減点法。親ごさんに「自分の子どもの良い点、他の子にない個性だと思う点を3つ挙げてください」と言っても、なかなか挙がってこない。逆に「直してほしい点を3つ言ってください」と言うと、パッパッと挙がる(笑)。それを逆にしてもらいたいんです。

だって、人間の長所と短所は表裏のもの。こちらから見れば弱点だけど、逆から見れば長所でもある。だったら長所と見てあげなきゃ。そういう人間の見方のゆとり、幅の広さ、視野の広さがないとほめ言葉は豊かになりません。

編集部:子どもを育てることは自分自身と向き合うことでもあるのですね。

汐見:子育てをしながら自分と向き合う。それを通じて自分の親と向き合うことでもありますね。するとときには、自分の育ちの中で蓄えてきたネガティブな感情や体験が噴出してしまい、子どもとの葛藤にすり替わってしまう場合もあるかもしれません。不発弾のようなものですよね。それを、完全にとまでいかなくても上手に処理する。
たとえば、親と本格的に対決したりして、一皮むけてしまう。そうすると親をそれまでとは違うまなざしで見られるようになって、親を深いところで愛せるようになり、自分も肯定できるようになる。つまり、子ども時代のあのことは悲しかったけれど、母は母で苦労して生きてきたんだよねと許せるようになる。そして、自分の生い立ちも「それはそれでよかったのかもしれないな」と思えるようになる……そうなれたらいいんだよね。だって、子どもとの葛藤がかえって良かったということになるわけだから。
そういう意味で、子育てとは自分自身の親子関係を修復する営みだし、自分の人生を肯定し直す営みでもあると思うのです。