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子どものこころを育てる 9

「イヤ!」と言われるとめんどうで、
つい手が出たりしてしまうんですが…。

 「イヤ!」は成長の証……そう言われても、日常生活の中でこれを頻繁に繰り返されたら、確かにお母さんもまいってしまうでしょう。子どもは親が忙しいとき、急いでいるときに限って「イヤ!」と言い出します。忙しさのために、つい親が親のやり方を通そうとするので、子どもの意志とぶつかるのです。それで要求が通らないと大泣きしたりします。
 でも、そこで「つい」手をあげてしまってよいものなのでしょうか。ここでは、「しつけ」と「体罰」について考えてみたいと思います。

「言ってもわからない」はまちがいです。
たたいても、しつけにはなりません

 最近のお母さんたちが語る「自分がついしてしまったわが子への体罰」の内容は、すさまじいものがあります。
 あるお母さんは「指のあとが残るほどたたいてしまった」と告白しました。そしてそこにいたお母さんのほとんどが、「自分にもそういうことがあった」とうなずきました。
 「夢中で子どもをたたいて、すっとしている自分を感じてぞっとした」というお母さんもいます。
 「愛のムチ」という考え方も、いっこうになくなりません。愛情さえあれば子どもはたたいてもいい、愛情を込めた体罰なら効果はある、愛情があるからこそたたくのだ、という考え方です。
 しかし、赤ちゃんはとても能力が高いのです。しかったり、たたいたり、ほめたりという動物の訓練のようなやり方でしつけをするには、向かないのです。
 実際、言葉によるやりとりができない時期でも、赤ちゃんは相手の表情から自分がどうしたらいいのかという情報を受け取っています。お母さんやお父さんの表情、雰囲気を感じ取って、行動の基準にしているのです。
 子どもは自分では話すことができない時期でも、聴く能力、感じる能力が高いのです。つまり「言葉で言ってもわからないから、たたく」という考え方はまちがっています。幼くても、言葉を使って伝えようという気持ちを大切にしましょう。

体罰をともなうしつけは、人間不信を招き、
自立をさまたげてしまいます

 たたくことで子どもを黙らせたり、従わせることができたとしても、子どもが本当に納得して行動を変えたわけではありません。一時的に怖かったり、痛いから、その場はやめただけです。子どもは理由を知り、納得しながら育つものであり、力で押さえてもだめなのです。
 なによりも、大人と子どもでは体格差があります。絶対的に強い立場の人間が暴力をふるうことは、許されることではありません。
 また、体罰だけでなく、言葉の暴力もやめなければなりません。「もう知りません」「うちの子じゃない」「なんてバカなの」などの言葉です。これは「愛していない」あるいは「存在してはいけない」というメッセージを子どもに送っていることになるからです。子どもは「自分は親から愛されてない」と感じ、自信を失い、人間に対する信頼を持ちつづけるのが難しくなってしまいます。それは結局、子どもの自立をさまたげることになります。
 「つい手が出てしまった」というのは、それだけお母さんが忙しかったり、ゆとりがないということでもあるでしょう。それはお母さんのせいだけではありません。
 かといって「完璧な母親なんていないのだから、つい手が出るのもしかたない」と割り切ってほしくはありません。子どもが泣いたりぐずったり、「イヤ!」と言うのは、それなりに理由があります。「言ってもきかないからたたく」「愛のムチ」は、親の言いわけにすぎません。
 実は自分のイライラを子どもにぶつけているだけでは、と考えてみる必要もあるでしょう。

「しかたがない」と自分を正当化しないで。
子どもは失敗しながら成長するし、
たたいても、しつけにはならないのですから。

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