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ホーム連載・読み物 インタビューシリーズ第2回 奥山千鶴子さん

インタビューシリーズ:親も子もトライ&エラー

日々、親ごさんと接しているかたや、子育て奮闘中のかたにお話を伺っていきます。

シリーズ第2回
ひとりで子育てするのは難しい
多くの人の目と手で、子育て家庭を支えたい

奥山千鶴子さん

奥山千鶴子さん
プロフィール
NPO法人 びーのびーの 理事長

7年前、「地域に親子の居場所がない」と痛感した親たちが、商店街の空き店舗を借りて、自分たちの手でつくった子育てひろばは、いまや地域の親子の生活になくてはならない存在になりました。
ひろば創設の中心メンバーのひとりで、NPO法人「びーのびーの」代表、奥山千鶴子さんにお話を伺いました。

Part1(前半) ひとりで子育てするのは、ほんとうに大変
Part2(後半) ひろばが国の事業に。しかし順風満帆ではなかった

Part1(前半) 2007年5月16日掲載

ひとりで子育てするのは
ほんとうに大変

編集部:おやこのひろば「びーのびーの」を開設して7年が経ちましたね。当時、親が自分たちで子育てひろばをつくったというニュースは、印象的でした。場所を借りれば家賃も必要。よほど深い思いがないと、できないことでは? 開設までの経緯を教えていただけますか。

奥山:平成12年4月、区の子育て通信づくりで一緒に活動していたお母さんたちと、立ち上げました。

もともと、私は小さな会社で国際会議の企画・運営の仕事をしていて、平成6年に第1子を出産し、社内で育休第1号をとりました。翌年、復帰して1年間は両親に子どもを預けて勤め続けたのですが、両親が田舎に戻ることになって、仕事を辞めるか、二重保育をして続けるか、選択を迫られました。

編集部:結局、仕事を辞められた?

奥山:ええ。復帰した年の1月に阪神淡路大震災が、3月に地下鉄サリン事件が起きて、衝撃的な年だったんですね。それまでは自分の身ひとつ守っていればよかったのが、子どもも守らなくてはならない。もちろん会社との約束も大事でしたから復帰しましたが、正直、両立は厳しいというのが実感でした。

でも、10年続けた仕事を辞めたら、抜け殻のようになってしまって。当時2歳の息子と、親子ともども地域に一人ひとりお友だちを作っていく作業が、ほんとうに大変で。仕事の方がよほどラクだと思うくらい(笑)。仕事をしていた生活と「暮らしていく、子どもを育てる」という新しい日常生活のギャップに苦しみました。

編集部:とてもよくわかります。

奥山:そんなとき、区報で「子育て通信」の編集委員募集の記事を見て、応募したんです。そこには、何かやりたいと思っているお母さんが集まってきていて、子どもの年齢も2~3歳くらい。そこから、地域活動に一歩踏み出したという感じでした。結局、そこでボランティアとして4年間ほど活動しました。「びーのびーの」を一緒に立ち上げた原美紀さんとも、そこで知り合ったんです。

編集部:「子育て通信」とは、どういうものですか?

奥山:保健所の健診で配る4ページ程の通信で、内容は私たちに任されていました。
公園にヒアリングに行くと、逆に、お母さんたちから「公園の水を使っていいの?」「泥んこ遊びしてもいいの?」「お砂場の犬猫ネットってどこに行けば張ってくれるの?」と聞かれたりして。「それは○○課に行けばわかるわよ」なんて答えているうちに、地域や行政のことも、だいぶわかるようになっていきました。

編集部:通信を作りながら、いろいろな経験を積み重ねていったわけですね。

奥山:それに、子どもも増えて(笑)。私のおなかには3人目の子がいて、原さんも3人の子の母になっていました。
不思議なもので、「子どもは1人で精一杯」と思っていたのに、編集会議に通ううちに、子どもは子ども同士ワイワイ遊ぶし、親も自分のやりたいことができる。いつのまにか、子育てがラクになっていました。

そういう活動をしながら、いつも私たちが思っていたのは、誰もが集える親子の居場所が、この地域にはない、ということでした。

びーのびーのの活動の一つ「幼稚園・保育園ガイド」は、子育て通信時代に有志で編集した冊子が、今に続いているもの。毎年改訂を加えて8年目になる。当事者のための当事者が作ったガイドとして人気が高い。

親子の居場所
吉祥寺0123との出会い

奥山:そんなときに出会ったのが、武蔵野市の「吉祥寺0123」でした。吉祥寺0123は、親子がいつでも遊びに行ける常設の子育てひろばです。

たまたまNHKの番組で、親子がお弁当持参で自転車に乗って楽しそうに通っている姿を見たんです。当時は「親が子どもの面倒を見て当たり前」という風潮だったのに、行政が「専業主婦への支援」を目的に作ったもの。そこに、ものすごい衝撃を受けて、この街にも同じものがほしい!と思いました。

編集部:奥山さんたち自身の活動場所というより、もっと広く「親子の居場所」という意味で?

奥山:はい、私たちも、最初はひとりで子育てしていてつらかったけれど、「子育て通信」をきっかけに地域に一緒に育ちあえる仲間ができて、気持ちもからだも楽になれた。自分ひとりではとても、育てられなかったと思います。

でも、仲間と出会うきっかけがつかめない人も多いでしょ。ただでさえ、親子で行ける場所は限られているのに、ここには児童館もなく、親子の行く所といえば、公園くらいでしたから。

それで無謀にも、自分たちで吉祥寺0123みたいなひろばを作ろうと考えました。もちろん、行政に働きかけることも考えましたが、常設は難しいことはわかっていました。

編集部:「常設」が重要なんですね。

奥山:というのも、子育て真っ最中って予定が立てにくいんです。
朝、お天気がいいのに子どもは「長靴を履いていく」と言い張ったり、「行く、行かない」で、玄関でモメたり。すごく近いのに、目的地まで1時間かかったり(笑)。だから、10時集合と言われても困ってしまう。それに、月1回・週1回だと、そのときカゼをひいたら、もう行けない。でも、いつも開いていれば、親子のペースで行けるでしょう? それで、私たちは「常設」にこだわりました。

編集部:準備はどのように?

奥山:まず、原さんと2人で吉祥寺0123の森下園長にお話をうかがいに行き、港北区で講演会を開くことをお願いしました。
講演会で、私たちの活動に賛同してくれるお母さんたちを探したかったから。仲間づくりのための企画でした。4年間のボランティア活動で声をかけあったお母さんたちに加えて、講演会では20人のお母さんが名のり出てくれました。

編集部:あとは、場所探しですね。

奥山:ええ。コンセプトは「もうひとつの家」でした。早期教育的な場ではなくて、「食う、寝る、遊ぶ」という、生活を共有する場がほしかったんです。
最初は一戸建てを探しましたが、子どもの声がうるさいとか、自転車で親子が集まると近所迷惑になるということで・・・

編集部:難航しましたか?

奥山:でも、間もなく知り合いのお母さんが「商店街に空き店舗が出たよ」と教えてくれて。当初、商店街は念頭にありませんでしたが、駅から徒歩2分、車も通らないし、昼間子どもが騒いでも大丈夫、ということで決めました。

実際に始めてみると、商店街には他にもメリットがあったんです。昔ながらの人と人とのつながりが残っていて、子どもたちを「地域の子」として声をかけてくれる。親も子も、商店街に見守られ、育ててもらいました。

編集部:地域社会のよさが残っていたんですね。

奥山:それに、ひろばで、商店街から出前をとってみんなでお昼を食べることもありました。私たち親は、毎日、小さい子どもを育てるだけでも大変なのに、朝昼晩と3食作らなくちゃいけないでしょう? たまには、誰かが作ってくれたものを食べたいんですね(笑)

最初に開設した菊名の「おやこの広場 びーのびーの」
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編集部:ただ、経費面で大変だったのでは?

奥山:最初に内装と水周りで150万円。それから、毎月の家賃20万円、プラス光熱費。私と原さんは、「ここは事業としてやっていこう」と心に決めて、子どもを保育園に預けました。

訪れる人には、月3000円を負担してもらうなど会員制にしました。「公園に行けばタダなのに、3000円も出して来てくれる人がいるだろうか?」と不安はありましたよ。でも、ある程度の予測は立てていたんです。吉祥寺0123には1日80組訪れていて、出生数を見ると港北区は武蔵野市の3倍あった。しかも港北区には、親子の居場所が公園しかない。有料でもニーズはあるだろうと考えました。

ひろばのスタッフには、1人が子連れのママだったら、もう1人は幼稚園ママというようにシフトを組みました。週1~2回、3時間くらいなら、無理なくできる。子連れでできる活動ですし、遊びに来た親子と一緒に育ちあえる、ゆるやかな居場所にできると思いました。

編集部:立ち止まらずに、どんどん進んでいかれた。すばらしい行動力ですね。

奥山:実はオープン2か月目で、お金のやりくりが厳しくて、すごく悩んだんです。このままでは続けていけないと。

でも、みんなに相談したら、「それは奥山さんだけが悩むことではない。みんなで考えていけばいい」と言ってくれて。NPOというのは、フラットな組織。代表者が決めてみんながその通りに動くわけではない。みんなで知恵を絞って考え運営していく組織なんですね。

編集部:どんな案が出ましたか

奥山:「もっと宣伝しよう」「じゃあ、チラシはどこで配る?」「予防接種のときがいい」ということで、保健センターに掛け合ったり。それに、「ゆるやかな居場所にしたいけど、知らせるためにはイベントも必要」と、赤ちゃん体操やマッサージの企画も立てました。

そうやって、いろいろなイベントを組むうちに、美容師の会員さんが前髪カットをやってくれたり、ビーズづくりの得意な会員さんがイベントで売上の一部を入れてくれたりして、「そうか、会員さんにも『大変だ』と言っていいんだ」と気がついた。

編集部:止まっていると何も見えないけれど、前に進むと解決策が見えてくる、という感じですね?

奥山:ほんとうにたくさんのアイデアが出て、なんとか1年がまわりました。秋には、横浜市の家賃補助申請や民間助成金を受けられることになり、ようやく見通しが明るくなりました。

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Part2では、ひろばがどのようにして軌道に乗ったか、そして今後何を目指しているか伺っています。