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Part4
子どもとお母さんのこころのケア 2ページ目  2011/6/14掲載

※本稿は2011年掲載時のまま、改訂は加えていません

お母さんのこころのケア

震災が親にあたえた影響

 実は、阪神大震災のあと、3~6か月後におこなった被災幼児の実態把握のための調査では、子どものこころのストレスよりも親のストレスのほうが数倍も大きいという結果が出ました。

 子どものこころのケアが大切だということは誰でも気づくことなので、親や周囲の大人、場合によっては専門家が一生懸命かかわろうとして、そこで癒されていくことができます。いっぽう親は自分のことよりまず「子ども」で、自分のことは後回しにするのが当たり前と考えてしまいますが、本当は親も子どもと同じように傷ついているのです。

 想定外の震災を体験し、私たちはとても不安定になっているので、何かのきっかけですぐに涙が出てきてしまったり、ドキドキしてしまうようなことがあるのは普通のことです。また、何をやるにもやる気が起きてこなかったり、どうにも動けなくなるという、うつ的な状況になることも、ぜんぜんおかしなことではありません。地震や津波に関してはもう安全なはずなのに、安全だという状況を脳がいつまでも認知してくれず、不安が消えないということもあると思います。女性の場合には、生理が不順になるというような身体的な症状が現れることもあります。

 こうした症状が現れたとき、「私は弱いから」「ダメな母親だから」などと自分を責めたりせず、当たり前のことなのだと理解するところからはじめましょう。親として子どもも守らなければいけないし、自分も守らなければいけない。それはとても大変なことなので、こころが揺らいでしまうのは仕方のないことです。

 実は、大きな危機に直面したときに分泌されるアドレナリンというホルモンは、男性には緊張した臨戦態勢が活性化する反応を起こし、誰かを助けようとか困難に立ち向かおうという方向に力を発揮できるのですが、女性には性ホルモンの関係で、身動きがとれなくなったり、誰かに助けてもらおうという反応が起きやすいという特性があるそうです。そのために、女性は自分に罪悪感をいだきやすい傾向もあるそうですが、それは女性が弱いということではなく、たぶん種を保存していくために遺伝子的にプログラムされているはたらきなのだと解釈できると思います。

 子どものこころの安定のためには親のこころが安定しているということがとても大切です。とくに小さい子どもの場合、お母さんが安定していないと子どもはいつまでも不安を抱えるし、ときには子どもがお母さんを守ろうと心理的にかばう形で動いてしまい、自分の不安をこころの奥に封じ込めてしまうこともあります。ですから親ごさんは、自分のためだけではなく子どものためにも、自分のストレスのケアをきちんとしていく必要があります。

過ぎてしまったことより、これからのことを考えて

 震災のときに、運悪く子どもを一人にしてしまっていたお母さんは、とくにそのことで子どもに対して強い罪悪感を感じてしまっていることがあります。そしてつい、子どもに「ゴメンね」と謝ってしまうのですが、それは子どもにとって何のプラスにもなりません。逆にいえば、「あのときママがいっしょにいてくれなかった」という時点にその都度引き戻されてしまうことにもなるのです。
 謝っても変わらないことを言われれば言われるほど、最初は意識していなかった子どもが、だんだん親を責めたくなってしまうこともあります。親は「ゴメンね」と繰り返すことで、自分を浄化していきたいというところがあるかもしれませんが、子どもにとってはそれが負担になることもあるのです。

 ですから、「いっしょにいてあげなくてゴメン」と言うかわりに、「あなたが不安なときには、これからはママがいつもいっしょにいてあげるよ」と、前向きに子どもにかかわっていくことが大切です。
 終わったことは終わったこと。振り返って何度も後悔するのではなく、これからどうしようかと考えて前向きでいることが、子どものためでもあり、また親自身のためでもあると思います。

放射能への不安にどう対応するか

 震災直後のショックからは徐々に立ち直ってきている人が多いなかで、小さな子どもをもつ親にとって、逆に不安が大きくなってきているのが放射能汚染の問題です。
 放射能については、報道されていることを大人が聞いても、安心していいのかどうか分からないことばかりというのが現状です。でも、不安ばかりを抱えて生活していても仕方がないので、どこかで自分を安心できる方向にもっていこうとする意識をもつことは大切なことです。あれも不安、これも不安と言い続けるよりは、どこかで一線ひいて、「まずは、ふつうに生活をしていこう」と思い切ることが大切だと思います。

ここまででOKと割り切ること

 誰も今の情報を信じきれないけれども、それでも生活がきちんと送れる人と送れない人に分かれていくのは、自分で自分をコントロールできるかどうかの違いです。

 たとえば、学校で「プールはOKです」といったときに、親ごさんが「本当に大丈夫かしら」という思いをもつのは、現在の状況では当然です。まずは学校がどのような根拠に基づいて大丈夫だと言っているのかの説明を求めることは必要でしょう。そこで、学校が数値の根拠を明確にもち、責任をもって定期的に線量を計り、その結果を公表した上で、子どもたちの安全を第一に考えて判断するというのであれば、それでOKとして、あとは「私はすべきことはちゃんとやった。だからあとは、この情報を信じてやっていこう」となかば思い込むことも必要です。

 放射線量は、少ないにこしたことはありません。少なくする方法があれば、校庭の砂を入れ替えるというような具体的な行動をとることも大切です。でも、ある程度の基準をもとに、それ以下ならふつうに生活をしようと思えることも、精神衛生上、同じくらい大切なことなのです。

日々の細かな線量に影響されすぎないこと

 では、その基準をどこにもつかということですが、ある程度は政府や自治体が基準にしているものや公表される数値を信じて行動するしかないと思います。
 ただ、それで本当に何十年後の子どもの健康まで完全に保障できるかといったら、それは分かりません。たぶんそこまで長いスパンで、「この線量なら100%安全」というようなものを出せる人はいないのではないでしょうか。そうなると、完全に安心するには「0」しかなくなってしまいますが、現在の状況ではそのようなことは望めません。
 人間が生きていくうえで、グレーゾーンも受け入れながら生きていかなければならないことはたくさんあります。「たぶん大丈夫だろう」というところでとりあえず生活しながら、経過は注意深く見守る。そういうスタンスで生活することが必要な時期だと思います。

 現在、線量計を持って、子どもの行動範囲を独自に計るお母さんたちの行動がさかんに報道されています。そういうものを見ると、「そこまでやらないと子どもは守れないのかしら」と不安をあおられてしまう方もいるかもしれませんが、私は、そこまですることには、メリットもあるけれど、注意すべきことも多いと思っています。
 線量計を常にもち、日によって、時間によって、行動を制限していくというのはとても不自由なことです。自分だけなら適当にすることもできますが、子どもを守ろうとすると、線量の変動に縛られてしまい、子どもの行動がもっと不自由になってしまいます。
 たとえば、かつてアレルギー食で問題になったのは、子どものアレルゲンとなるものを全部厳密に除去していったために栄養障害を起こす子どもが出てきてしまったということでした。放射線量についても、あまり神経質になりすぎると、それと同じことが起きかねません。

 放射線量というのは、1日のなかでも、風向きによっても天気によっても変わります。比較的高い数値の日や時間帯もあれば、平常時の数値に戻ることもあります。一定量が1年続くというなら行動の基準も出しやすいですが、今この数値が出たからこうしましょうとは、かんたんに言えないのです。
 自治体によっては、独自にモニタリングの場所を増やして計測するようになったところもあります。学校の校庭や子どもが多く集まる公園などにモニタリングの場所を作ってほしいとか、信じるに値する数値を速やかに公表してほしいと自治体に要望することはよいと思いますが、日々の細かな数値にはあまり影響されすぎないほうがよいと思います。

扇動的な意見にあおられないこと

 原発事故が当初報道されていたよりもずっと深刻な状態だったと今になって知らされることが多いため、私たちは放射能の問題についてとても懐疑的になっていると思います。「大丈夫」という意見よりも、「こんなに危険だ」という意見のほうが信じられるような気がしてしまいますが、「大丈夫」の根拠を追及するのと同じように、「こんなに危険」の根拠も冷静に判断することが必要です。

 お友だちママとの会話のなかにも、放射能の問題は出てくるはずですが、そのなかに不安が強い人がいると、みんながそちらにひっぱられていくということもあると思います。自分はそれほど不安には思っていなくても、会話の流れのなかで、「いや、大丈夫じゃない? 考えすぎよ」とは言いにくいですよね。「そんなことで母親として子どもを守れると思ってるの?」と思われそうだし、いろいろと情報を集めて危険性を訴えるお母さんのほうが優秀に思われやすいということもあります。ただ、世のなかというのは、そういうふうに動きやすいのだということを頭の片隅に置いておくことも大切だと思います。

 また、どうしてもネガティブな情報を信じてしまいやすいという時には、なぜなんだろうと自分にもう一度立ち戻って考えてみることも大切です。つまり、不安のほうが自分にとって馴染みやすいとしたら、なぜ自分は不安な情報のほうを信頼してしまうのか、自分のこれまでの人生を見つめなおしてみると、今回の放射能の問題以前から、実はとても不安に影響を受けやすい性格だったということもあるかもしれません。
 昔から心配性で、99%大丈夫といわれても、1%の可能性が怖くて仕方がなかったとか、それで自分のこれまでの人生はいつも不安定だったということがあるとしたら、今回も同じように、物事を悪いほうにばかり考えがちなのかもしれないと、自分を軌道修正することができます。

ピンチをチャンスに

 ふだんの生活のなかで不安を抱えていると、今回の震災のような非常時には、パニックになりやすい場合があります。精神的な健康度というのが、こういうときに分かるのです。これまでは自分のこころの奥に封じ込めておいた不安、たとえば夫との関係、育児の悩みなど、もともと潜在的にもっているものが表面化するということなので、これをいいチャンスとして、どうしたらもっと自分が安心して生活できるかということを考えてみるのも大切なことだと思います。

 いつまでたっても震災当時の恐怖が押し寄せてきて眠れなくなるとか、このまま日本にいたら放射能で死んでしまうのではないかと思うくらい不安が強くて日常生活にも支障をきたしてしまうというように、明らかに自分の気持ちをコントロールできずにつらいときには、ひとりで悩まずに、カウンセリングを受けたり心療内科にかかったりすることも大切です。ふだんのときなら、まだまだ受診をするには敷居が高い場所かもしれませんが、今なら震災の不安をきっかけにすれば相談に行きやすいと思います。

 物事には必ずマイナスとプラスの両面があります。震災をきっかけにして分かってきたことを、これからの自分の人生でプラスに変えていこうとしていくことが大切です。
 完璧な人間はいないし、100%健康な人間もいません。みんなどこかに弱さをもっています。ありのままの自分を受け入れながら、それをダメなものとしてとらえるのではなく、これからどうしていくか、どうしたらもっと幸せに生きていけるかと自分を見つめるきっかけにできたら、子どものありのままを受けとめるという見方にもつながっていくし、ひいては社会的な弱者とどうやっていっしょに生きていくかという考え方ができることにもつながっていくと思います。

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